わかっている、最短ルートはそこにある。
私の学習ポリシーは明確です。 「質より量。細けぇことはいいから、浴びるようにインプットしろ」

英語学習のとき、身に染みて感じたはずでした。わからない単語で立ち止まるより、何万語ものシャワーを浴びる方が、結果的に「言葉の感覚」が早く身につく。参考書を1ページ目から完璧にするより、最後まで目を通して全体像を掴む方が、理解のスピードは格段に上がる。
重要なところは必ずまた出てくる、理解できる別の角度と切り口で
知っているんです。それが正解だと。 なのに、今の私はどうでしょう。
JavaScriptの「コールバック関数」という、たった一つの概念の前で、何時間も立ち止まっています。
1. 「ポリシー」と「性分」の板挟み
頭の中の「効率的な私」が叫びます。 「おい、いつまで同じコード書いてるんだ。次に行け。別の教材を見れば、あっさり解決するかもしれないぞ」
でも、指先が、そして心が、それを拒否するんです。 「ここを曖昧にしたまま行けない。分かってるけどモヤモヤのまま次に行きたくない」
ポリシー(理想)は「浴びるように」。 でも性分(本能)は「一滴を深く」。
この矛盾に挟まれて、ちっとも進まない自分にイライラし、もどかしさで視界が曇ります。
2. なぜ「飛ばす」のがこんなに怖いのか
「浴びる学習」ができる人は、いわば霧の中を全速力で走れる人です。 いつか霧が晴れると信じて、足元の不安定さを無視できる。TOEICはそれで3ヶ月で735点→920点に独学過去問のみでアップしました。

対して、今の私は、一歩踏み出すたびに地面を固め、ライトを照らし、安全を確認しないと気が済まない。 英語のときもそうでした。結局、何度も同じフレーズを口に馴染ませて、ようやく自分の血肉にした。
「効率が悪い」と自分を責めるけれど、もしかしたらこれは、「自分という人間のOS」が、納得なしには一歩も動けない仕様なのかもしれません。
3. もどかしさの正体:自分を信じきれない焦燥
本当にもどかしいのは、理解が遅いことじゃない。 「自分が一番正しいと信じている学習法」を、自分自身で体現できていないこと。
「もっと器用にやればいいのに」 「教材は山ほどあるのに、なぜこの一行に執着するのか」
そんな自分への失望が、学習のモチベーションを削りに来ます。 でも、ふと思うのです。何度も何度も写経して、ようやく「コールバック関数」の動きが頭の中で映像になった瞬間、あの霧がパッと晴れるような感覚。
あれは、「浴びる学習」を無理に演じていたら、なかなか得られない感覚なのでしょう。
結び:不器用なポリシー違反者のワタシへ
結び:この「納得の呪い」から、いつか自由になれるだろうか
結局のところ、私は不器用なのだと思います。 「浴びるように学ぶ」のが最短ルートだと、英語学習の経験から痛いほど分かっている。それなのに、JavaScriptのたった一行、引数のひとつに足を取られ、気づけば同じ場所で足踏みをしている。
この「納得するまで一歩も動けない」性格は、私の強みでもあり、同時に深い呪いのようにも感じます。
効率的な学習法を自分に強いるのは、面白くないんですね、好きじゃないんですね、結局のところ。 TOEICのときは卓上の模試の点数が毎回上がっていくのが楽しかったからコツコツ勉強を捨てれたんでしょうね。
「プログラミングの広大な海を、もっと軽やかに、流れるように泳いでみたい」 「この『こだわりすぎる性格』を脱ぎ捨てて、未完成のまま突き進む勇気がほしい」
何度も何度も納得するまで写経する「学ぶ儀式」を繰り返しながらも、私はまだ、自分を変える方法を探しています。
どうすれば、この鈍足な一歩を、軽快なステップに変えられるんだろう。 どうすれば、わからないことを「わからないまま」進めるようになるんだろう。
正解は見えませんが、今日も私は、一向に頭に入ってこないコードと向き合いながら、もがき続けています。
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